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1993

最近懐古的なので生きた証としてコラム的にブログを書こうと思う。





PUNK



あの頃は尖ってた。



初期衝動という当時のバンドブームを象徴する言葉。



みんな敵の様だった。



若者の気持ちもわかってくれない大人が嫌だった。



そんな気持ちをファッションが救ってくれた。



当時はカッコつけてピストルズはクラッシュ、ラモーンズなどの王道PUNKを聴いてた。



意味もわからずにね。



アシスタント時代は苦しかった。



お金がなくてご飯が食べれなかった。



当時の給料が3万円だった。



家賃も払えない。



朝の7:00から夜の0:35までサロンにいた。


その後に魚民でバイトをしていた。


お金がなかったから。



結果として鹿児島の親戚とおばあちゃんと弟と姉にお金を借りた。



今でもその時の感情や電話のトーンは覚えてる。



弟は何も言わずに貸してくれた。


まだ10代なのに。



鹿児島のおじさんには「皆苦しいんだ!」と怒られた。


その時は毎日が必死すぎてギリギリだった。






東京は魔物だと思っていた。




当時は勤めていたヘアサロンの一階がウエンディーズで、



お昼は皆そこで買ってたな。



コンビニのampmで店長が丸ごとソーセージを買ってきてって言って、



ソーセージを買ったらめちゃくちゃ怒られた。



丸ごとソーセージっていうパンだったのだ。







よく女の先輩に「村田くんって本当に使えないよね。。。」


毎日言われてた。




俺めっちゃ自分でPUNKだと思って、


ファッションもめちゃPUNKなのに、


めちゃくちゃ仕事できなくてカッコ悪かった。



カッコ悪い自分が更にカッコ悪いと思って毎日落ち込んでた。






お米を炊くときに醤油を入れて炊いてた。



朝昼晩それだけ。



原宿時代の前の話だ。




そのお店はN○KNI特集されるくらい経営で有名だった。




そこで当時結果として上京するきっかけになる人と関わりになるとは想像もしてなかった。




まあいいや。



現在2023年当時のフィルムが見つかって現像に出してみた。



だいぶ酷かったけどなんとか見えるものもあって。





当時20歳



タータンチェックの服がトレードマーク。



まだまだ中指が折れない歳。



良い時代だった。



ファッションはいつも自分を助けてくれる。



人それぞれ好みもあるだろうけど、



気持ちを上げてくれるのは正直になって欲しいっていつも思いながら髪を切る。



コンプレックスだったり生活だったりで余裕がなかったり気持ちが落ちてたり、



私も人だ。




そんな経験は死ぬほどしてきた。



だから今がある。




そんな90年代は、、、




大好きな記憶が多い








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